1985年を皮切りに3年連続でウクレレ・フェスティバルに出演したライル・リッツは、大きな決断をします。ベーシストとしての仕事をやめ、ロサンゼルスの住居を引き払い、ハワイのオアフ島に引っ越すことにしたのです。エレキ・ベースあるいはシンセ・ベースが主体となったアメリカのポピュラー・ミュージック界において、アコースティック・ベースの出番が少なくなってきていたことは想像に難くありません。加えてライル・リッツには幼い娘さんもいて、教育のためによりよい環境に移りたいと考えるようになったのです(この娘さんは今では大きくなって、彼の教則ビデオ「Lyle's Style」では、父親と息のあったウクレレアンサンブルを披露しています)。
ライル・リッツの第2の音楽キャリアは、こうやってスタートすることになりました。
ハワイに移ってきたライル・リッツに、ロイ・サクマはウクレレ・ジャズのCDを作るよう奨めます。ライル・リッツは現地のミュージシャンを使い、ジャズ、そしてポップスの要素を取り入れ、ウクレレ・アルバム「Time」を完成させました。その後、オータサンとの共演盤「Ukulele Duo」や、同じくオータサンと競演・共演したライブ盤「Night Of Ukelele Jazz」を出します。また、メインランドのジム・ビロフの求めに応じ、彼が経営するFlea Market Musicよりウクレレ教則本を刊行したりしました。
●最近のライル・リッツ
ライル・リッツは2000年頃にハワイを離れ、オレゴン州のポートランドに居宅を構えます。そこでGarage Band(MACの多重録音用ソフト)を使って「No Frills」というアルバムを一人で作りあげました。最近ではポートランドに縁の深いレベッカ・キルゴアという女性ジャズ・ボーカリストとの共演盤を2枚作っています。
2007年にポートランドのウクレレ・フェスティバルで、ライル・リッツはウクレレの殿堂入りを果たします。さらにこの年には、「Wrecking Crew」の一員としてミュージシャンの殿堂入りも果たすことになりました。
この二つの殿堂入りについて、前述のジム・ビロフはライルリッツに、「あなたのキャリアの二つの路線が一本に合わさったようだ」と述べています。
付記:
2017年3月3日、ライル・リッツはオレゴン州のポートランドで亡くなりました。87歳でした。
*この記事は主に次の資料に基づいて書きました。
Wikipedia - Lyle Ritz
Lyle Ritz:2007 Hall of Fame Inductee
Lyle Ritz - Music Biography : AllMusic
Lyle Ritz「Lyle's Style」(DVD; Hal Leonard)
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